大塚康生 さんから伺った1945年8月6日の話。大塚さんは当時14歳。学徒動員で山口から下関へクラスごと移動。穴掘り作業の途中に東方200キロの彼方に異様な雲を見たと。何が起きたかは知らされず、新手の空襲ではないかと思ったそうです。記されてい…
『#この世界の片隅に』エンドロール「資料・情報協力」の末尾に「大塚康生」とあります。大塚さんに伺ったところ「山口の進駐NZ軍の資料を貸した」とおっしゃっていました。「観に行きましょうよ」と誘ったのですが「混んでるようだし、まだいいよ」と照れくさそうに断られてしまいました。残念。
— 叶 精二(Seiji Kanoh) (@seijikanoh) December 5, 2016
昨日の大塚康生さんとの電話での会話より。
「大塚さんが『#この世界の片隅に』に出ていると話題になってます」
「ウソだよ、そんなわけないでしょ」
「ハンチングの少年が進駐軍のジープをスケッチしてます」
「そんなことしてんの?」
「実際してましたからねぇ」
「してたねぇ(笑)」— 叶 精二(Seiji Kanoh) (@seijikanoh) December 17, 2016
1945年8月 大塚康生さんは学徒動員で山口から下関へクラスごと移動して作業をされていたそうです。8月6日東方200キロの彼方に異様な雲を見たと。学徒たちには何が起きたかは知らされず、新手の空襲ではないかと思ったそうです。原爆だったと知ったのは戦後。後に呉も何度か訪れたそうです。
— 叶 精二(Seiji Kanoh) (@seijikanoh) December 17, 2016
<RT いま浦谷さんに聞いてみたら本当に大塚さんがモデルだって! 『この世界の片隅に』
— Hidenori Matsubara 松原秀典 (@HideMatsubara) December 18, 2016